概 要
(名 称)公益財団法人防長倶楽部
(設 立) 大正十二年七月一八日
(公益財団法人移行)平成二十三年六月二十一日認定 同年七月一日登記
(目的等)
郷土意識を基調とする教育活動を通じ愛国心の根源を培い文化の発展と民族意識の昂揚を図るを以って目的とし、次の事業を行う。
(1)教育文化発展を目的とする学術講演会
(2)機関誌の発行
(3)奨学金貸与
(4)教育研究活動に対する助成
(5)山口県出身先賢の遺徳顕彰事業
(6)その他法人の目的を達成するための事業
(役 員)
理事長(代表理事) 八木重二郎
常務理事 松野浩二、小林哲雄、浅野正之、松本和江
理 事
出元英伸、小野五枝、川本絋三、国安正昭、倉重英樹、中馬 浩、中邑健二、夏川和也、松永勝人
監 事
氏家光博、矢原武紀、広瀬和彦
評議員
芥川 孝、内田青虹、久保崎喜太郎、白鹿敦己、杉山敏美、中村潤一、中本千晶、
林 芳正、花原 勉、原田 朗、藤井哲男、坊直樹、溝口仁志
(会 員)
個人会員 七百十二名
法人会員
宇部興産(株)、協和発酵キリン(株)、(株)トクヤマ、(株)山口銀行、全農山口県本部、
山口放送(株)(KRY)、山口県、(株)カシワバラ・コーポレーション (以上八社)
(資産など)基本財産一億円、正味財産四億円(七月一日の概算予想)
歴史と理念
防長倶楽部の前身は、日露戦争の戦勝の余韻が冷めやらぬ明治三十八年(1905)、東京在住の山口県出身者有志によって「異同倶楽部」が作られたことから発している。
その後、会員の要望に応えて大正三年(1914)組織を改め、干支にちなんで「甲寅会(こうしんかい)」と命名され、さらに間もなく「防長倶楽部」と改められた。
大正十二年、防長倶楽部は、甲寅会から防長会館を含む財産を継承、私的な倶楽部から民法に基づく財団法人組織として発足した。この年をもって防長倶楽部発足となった。
当時、入会資格が厳しく、一部の人たちからは敬遠されるなどあったが、その後、会員も次第に増加し、財政基盤も強化され、ステータスシンボルとしての評価も高まってきた。
この状況が一変したのが、昭和二十年の終戦であった。同年五月の東京大空襲で、防長会館を失い、インフレで財産は紙切れとなった。そのような中で、防長倶楽部は名称を「防長会」と変え、事務所も転々としながら活動をつづけた。何とか形が整ったのが昭和二十五年であり、財団法人防長倶楽部として再出発した。
そして、門戸を広く開き会員を募り、運営を民主的なものに改めるなどを経て、女性への門戸開放や若者の入会にも注力するなど、組織基盤である会員増強を進め、平成十五年には八十周年を盛大に祝うことができた。
一方、事業活動であるが、先賢遺徳顕彰や教育・文化事業活動の増強、情報とセンスを売り物とする機関誌とホームページの充実、更に山田奨学会を吸収合併するなど公益事業の拡充を図ると共に、夏祭りやきらら会コーラスそしてゴルフ同好会などの共益事業や福利厚生活動の質的向上を進め、併せて、資産運用への対応や事務所の高機能化を進めてきた。
これ等の集大成が新公益財団法人発足に至ったわけであるが、「郷土山口を愛し、それを通して公益に資する」理念は、創立以来不変である。
防長倶楽部の行動指針
防長倶楽部は、県人会としては日本で最初の新公益法人となったが、関連諸情報から見ると、他に追随は無いものと思われる。まさに、防長倶楽部は、前記の目的と理念を強く意識し、新たな使命感を持って、活動を開始することになる。
以上
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